- 2012年12月21日
大船鉾細見 下水引一番 - 2012年12月13日
復興事業近況 - 2012年12月05日
大船鉾考証 作事三者
2012年12月アーカイブ
大船鉾細見 下水引一番
下水引一番 ~緋羅紗地波濤飛魚文肉入刺繍~
蓋し大船鉾町が所蔵する幕類衣裳の中で最も人目を引くであろう、件の下水引は文化年間の調進になります。今回はこの幕を細見してゆきます。本品は緋羅紗の大幅裂地に本金糸にて下面から六分にわたって波濤をあしらい、上面を飛魚が闊達に跳ねています。
まず羅紗を見てみましょう。時は室町末期1546年頃、南蛮人(ポルトガル人)が種子島に漂着したとき、鉄砲とともにもたらされたのが「ラーシャ」という彼らの外套でした。過酷な航海をする彼らの外套は厚手で、耐久性を要としたため1枚物の布で拵えてありました。色はコチニールという、虫をつぶして得る染料orケルメス(動物性染料)で染められ、それはもう目の覚めるような真っ赤、桃山文化の黎明期に化学反応を起こしたことは間違いありません。小早川秀秋が関ヶ原合戦で所用した「猩猩緋羅紗違い鎌文陣羽織」などは日本で用いられた羅紗の濫觴と言えるでしょう。その後も羅紗の豪奢な魅力は華を求める人々に好まれ、輸入され続けました。下水引1番に用いられている羅紗ももちろん舶来品、と言いますか国産品は明治後期以後しか存在しません。
次に波濤です。金糸を駒縫い(金駒)技法にて波濤を象っています。この刺繍部分は昭和初期に大胆な修理が施されており、文化年間のオリジナル部分と明治改修部分がはっきりしています。オリジナル部分は金の純度が低くおそらく銀が混ざっているせいで、今や鈍色となっています。また経年劣化なのかオリジンなのか不明ですが、台紙の和紙がところどころ見えてしまっています。明治改修では、留め糸が取れてしまい「うどん」状になった箇所を補作したようです。こちらは金の純度が高く新造時の輝きを今も保っているものと思われます。また、全体像として興味深いのは舳先の波が大きく、艫へいくほどに飛沫が多く細かい波に変化してゆく様子です。これは大きな船が海原をきり進む際、舳先で大きく海を割り、やがて飛沫に変わるさまをよく表しています。
最後は飛魚です。終始飛魚と申していますが、現品はどうみても「飛龍」です。四条町ではこの幕を納める箱の墨書より「飛魚」と呼ぶようにしています。神功皇后の三韓征伐時、帥船のまわりを飛魚が取り巻き道案内をした云々と記紀にあり、それがための取材と思われます。ただ、この場合「凱旋の船」というイデオロギーはどうしたの!? という疑問は残りますが…。それはさておきこの飛魚、正面に1体、左舷11体、右舷11体と合わせて23体が躍動します。これをしばらく眺めているとふいにぱしゃぱしゃと叩水音が聞こえてきて、邯鄲の枕よろしくやがて自身も居ながらにして水面に遊ぶかのような錯覚に陥る見事さです。こちらも連綿と修理が施されており、おそらく明治頃~昭和中期にかけて実にさまざまな人の手が入っていると思われます。修理を施すというのは町内大宝への愛着の念に間違いないのですが、残念ながら構図的なことに無知な人の修理あともみうけられ、原型をとどめていないもの、飛魚(飛龍)としてつじつまの合わないもの…(例えば羽際の炎が体を燃やしてしまっている等)が半数近く占めています。しかし、色糸と金糸を撚り合わせ架空のめでたい生き物に相応しい鱗やギヤマン細工の目玉など往時の迫力は失われておりません。また部分々々に綿をいれ和紙で押し肉盛を表現してあります。この盛り加減も実に繊細優美で王朝好みの京都周辺でしか見られない逸品なるかと思います。
この水引は毎年お飾りに出しております上、鉾ができたら堂々とこれを舷側に掛けて披露いたしますので、復興を応援してくださる皆様には飾り席または鉾上にてとくとご覧くださいますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
復興事業近況
第一目標2014年の鉾での巡行まで残り19ヶ月となりました。
復興事業は決して順風満帆ではありませんが、何とか皆様のご支援を受け前に向かって休まずに歩み続けております。
昨年の7月に復興事業を始めた頃は、がむしゃらにご支援をお願いするだけでありましたが、本年10月の大船鉾復原検討委員会において基本設計と仕様が確定した現在では2014年の7月に向け綿密な計画を立てる段階に入っております。
復興必需品リストも出来上がり、現在、各方面と見積・交渉中であります。
リアルな数字を目の前に、本当の生みの苦しみはこれからであると、一同気を引き締め直しております。
引き続き、皆様のご支援よろしくお願い申し上げます。
早く皆様に良い報告が出来ますように。
大船鉾考証 作事三者
皆様お待たせいたしました。今回は与力衆作事三者についてやや詳しくみてゆこうと思います。
①大工方
大工方とは、大船鉾の舞台(ご神体や囃子方がのるところ)と屋根と艫屋形、鉾桟橋の作事を担う技術者集団です。そして作事三者のなかで最も上役になります。これは本来鉾の「衣裳」に値する塗り物や彫刻・彫金類を扱うためです。いわば本来旦那衆自らすべき作事を肩代わりするということです。幕類衣裳や房などは町内旦那衆によって鉾建て最終日に蔵2階から運び出され、旦那衆自ら鉾に据え付けます。これは「町内の大宝中の大宝は自分たち以外に触れさせない」という昔堅気の由縁です。蔵が非公開というのもまた同じ理由です。町内ゆかりであったり、洛中で評判のある絵師に下絵を描かせ、当代の名工に大金をはたいて作らせた彫刻・彫金・塗り物のたぐいも、もちろんこの範疇に入ります。が、大きな鉾の、しかも特殊な揺れ構造をもつ屋根などは到底素人作事では間に合いません。そこで宮大工を中心とした「大工方」集団にこれを依頼するのです。これがため、舞台より下の構造には一切触れません。欄縁のみは旦那衆自らの作事が可能なため、大工方は触りません。このように最も旦那衆に近い作事を請け負う為、吉符入り式や各会合でも上席になります。巡行時、棟梁は鉾の後ろを歩き、鉾本体の「検分」を行います。鉾におかしな歪みがないか、無理な力がかかってないか、脱落部品はないか…。これを後ろから督視します。それがため、車方棟梁に次ぐ「急ブレーキ発動」の権限を持ちます。その他、大工方2~3名が鉾に乗り込みます。これは他の鉾の「屋根方」にあたる役目で、舞台より上の構造物(自分たちのセクションの構造物)に異常なきか、また異常ある場合は応急処置役として活躍します。総勢は8名ほどの集団です。
②手伝い方
手伝い方とは、鉾の基礎構造部分を受け持つ技術者集団です。作事三者のなかで最も重要であり、鉾本体の肝を司ることになります。基礎構造部分とは車軸・石持・基礎櫓部・船体部をさします。細かいことを言いますと、車軸と車輪の間にある「潤滑油(たね油)」も手伝い方の範疇です。毎年鉾建ての全てに渡って仕事があるため、いやおうなく鉾の全てを知ることとなり、旦那衆から最も頼られる存在です。逆にこの部分の作事が歪んでいたりすると、これを基礎にする屋根も艫も車輪も、全て歪みます。町内と綿密な連携をとり部材のねじれや変形、欠損、耐久力、部材新調時期など多岐にわたり相談にのってもらうこととなります。さらに四条町秘伝の「縄がらみ」を永代受け継いでもらうことになります。さらにさらに埒組、提灯建ても請け負い大忙しです。手伝い方棟梁は巡行時、曳き綱の中央やや先あたりを歩き(お供衆の10メートル後ろあたり)、鉾の進行を司ります。(後述※)手伝い方の中から5名が音頭取になります。総勢10名ほどの集団ですので、残る4名は純粋な手伝い方として辻回しや曳き手に加わったりします。現在ヨドバシに展示中の大船鉾は、舞台と車輪と轄(くさび)を除きすべて手伝い方の範囲です。
※:山鉾巡行は神事であります為、神事励行場所がいくつかあります。また巡行列のため前の山鉾にあわせて進行する必要があります。(必ずしもピッタリ付いてゆくのではなく、場合によっては少しあけて止めたりもします)これらの事はすべて町内お供衆鉾進行係の扇によって合図されます。この扇は鉾はおろか「四条町の行列」そのものを采配します。手伝い方棟梁はこの合図をよく見て、「音頭取」(すなわち自分の部下)に合図を送ります。その合図に従った音頭取の「エンヤラヨイ」で鉾は前へ動くのです。ただ辻回しでは、お供衆は全員相引に腰掛けこれを検分しますので、辻に入ってから向きを変えるまで手伝い方棟梁に指揮権を委ねます。
③車方
車方は鉾の車と、進行時の方向調整、辻回しを請け負います。今や舗装されたキレイな道ですが、昔は土を踏み固めた地道でありました為その作事は泥だらけになって大変だったことが伺われます。鉾建て最終日に車輪をはめ、轄をして、曳き初めの方向修正を担います。巡行時はもっぱら方向修正にかかります。鉾前を後ろ向きに指南役が歩き指示を出します。前両輪には「カケヤ」(掛矢:いわゆる大木槌の名称だがこれに見立ててか或いはかつて木槌を代用したか)という車止めを引きずる2名、方向修正のかぶらてこを前輪大外2名、中1名、残りは追い梃子を持って四輪に附きます。それに加え「辻回し」という大きな役目があります。竹or樫枝or柳枝を敷いて鉾をまわすのですが、これも簡単ではありません。まず前の両輪がきっちり竹にのらなければなりません。上手な車方は鉾が遠くにあっても目算で竹を敷き、きっちりのせますが、自信のない車方は鉾を近くまでもってきて車輪の目の前で竹を並べます。また鉾をまわすとき後輪のどちらを軸にしてまわすかによってまわる角度が異なります。このように辻回しの実務を執るのは車方集団ですが、儀礼的進行権は手伝い方頭領にあるため、動かす(まわす)準備ができたら手伝い方棟梁に「出来ました」と通告します。それを聞いた手伝い方棟梁は扇を振り上げ、音頭取の「ヨウイトセ」で鉾がまわります。ただし、あまりに引っ張りすぎて竹から車輪が脱落すると後が大変なため、「もうええ!」という号令は車方棟梁が行います。総勢10名、方向調整を請け負うため「急ブレーキ」の権限を1番に有します。但し、鉾を進め動かす権限を有しませんため、「動いた鉾を必死に方向調整する」というのが本文です。
大船鉾では着々とこれら作事方の組織作りに励んでいます。各方面の暖かなご支援を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。